オーバークロック
凄くよかったDual Display
Dual Display と言うかDual Monitor をモニタを2台並べただけと思うなかれ。
初めて使ったときの驚きは大きかった。
私は、文章を書く仕事をしている訳ではないが、文章や資料を作成することが多い。その時、多くの資料を見ながら作成するが、その参照する資料も電子ファイルにあることが多く、モニタの画面の広さいには拘っていた。
昔は、15インチのモニタを買うときでも1600x1200pxのモニタを選んでいた。普段は低い解像度で利用しているが、ここ一番って時には高い解像度で仕事する。
だから24インチの1920x1200pxの液晶が10万円くらいで買えるようになったときは飛びついた。ノートPCも15.4インチで1920x1200pxのを買った。
しばらくは、それで満足していたが、さらに広い画面が必要になったとき2台並べて、3840x1200pxとした。
その表示される情報量の多さには驚いたし、凄く便利だった。
いまでは、1920x1080pxのモニタなんて安いものだ。安いものだと2万円少々で買える。液晶の種類によって値段は変わるが、TFTであれIPSであれ仕事で使うときにはあまり関係ない。ゲーマーはベストなモニタをチョイスする必要があるだろうが、私はゲーマーではないのでよくわからない。
仕事で使うのならノングレアで枠の細いのがいいと思う。入力端子はDVIが2つ以上、さらにHDMIがあればいいのではないだろうか。
お勧めしたい。
Windows95で変わったのか
パソコンの環境が大きく変わった始まりはWindows95ではないだろうか。
Windows3.1の時代はwinsockというドライバを入手、インストールしTCP/IP通信を行っていたが、その機能を組み込んだOSがWindows95だった。
Windows95をインストールするだけでインターネットに接続できるようになった。その頃INS64というサービスが始まった。64kbpsという今では信じられないくらい遅い通信速度だ。それまでの通信速度は9600bps、一部12800bpsというのが最速だったのだから64kbpsでも速かったのだ。
このときを境に、Webにアクセスするパソコンが一気に増えたわけだ。
それからしばらくして、ISPやレンタルサーバ等が増えた。ドメインはまだまだ高価ではあったが個人で持つ人もいた。
Windows95と高速回線が世の中を大きく変えたのだった。
一部のマニアが行っていたパソコン通信が万人がインターネットをするようになった。
YahooやGoogle等の訳のわからないことをしていた会社が今では巨大企業となり検索エンジンが企業の価値をある意味変えていった。
ネット通販なるものも出てきた。私はアメリカにFAXで個人輸入で購入していたが、個人輸入という言葉さえ今ではなくなった。世界中から価格比較をしながら気楽に物が買える時代になった。
情報はなんでもネット上にある。情弱という言葉が生まれたのも当然この頃だと思う。
パソコン通信から遊んできた私にとっては時間をかけて今の環境にたどり着いたと思っているが、そうでない人が圧倒的に多いと思う。
いきなり、ブロードバンドが家庭にやってきてインターネットをする人が多いと思うが、そういう需要が時代を変えたと思う。
パソコンの性能が上がったとき
パソコンの性能が上がるときには何があったのかを歴代に記す。
- PC-8001からPC-9801に変わったとき
- RAMディスクを導入したとき
- キャッシュディスクを導入したとき
- ハードディスクを導入したとき
- IBM/PC互換機でクロックアップしたとき
- ビデオカードをアクセラレータ付きのものに交換したとき
- SSDを導入したとき
- 各種ソフトのキャッシュの格納先をRAMディスクにしたとき
1のPC-9801F2は当時398,000円だった。モニタもカラーなら14インチで168,000円だった。殆ど値引きする店もなかった。高かったんだぞ!!
2のRAMディスクは4MByteが数万円していたのだから今では驚きである。今だと何GByte買えるのだろうか。
4のハードディスクも20MBだった。10万円を超えていた。いまでは、ギガを越してテラになっている。
性能と言う言葉が該当しないかもしれないが、ソフトウェアやハードウェア、環境も大きく変わっていく。
過激なオーバークロック
オーバークロックを謳うわりには過激なオーバークロックをしたことはない。
過激とは、ここでは、空冷以外の冷却方法で上がるところまであげることを過激と呼ぶことにする。
冷却に金をかけるのであれば少し待てば速いCPUが出てくるのでそれを買えばいい。
私のオーバークロックはオーバークロックすることに目的がある訳ではなく、快適なPCを作ることに目的があるので、何が何でもという発想はない。
Celeron300AというCPUがあった。
これは、空冷で450MHzまでのクロックアップが可能だった。一時期は大流行したものだ。この辺りからクロックアップに制限がかけられるようになったが、それも束の間、オーバークロックが過激になっていった。デモンストレーションでは液体窒素で冷却し極限までクロックアップする映像も合った。
再度、オーバークロックが加熱するころには、CPUへ供給する電圧を上げることのできるマザーボードが現れた。何もそこまでしなくともと思った。そこまでするとCPUの寿命が短くなるのかもしれない。と本気で考えた。本当にクロックアップ、供給電源の電圧アップで寿命が短くなるのか知らないが、短かったように思う。
最近ではクロックアップなどしない。
CPUは、通常の使用なら十分に速いし、それ以外の強化で体感速度は向上する。
例えば、SSDを使うとか、メモリを沢山積んでRAMディスクを使えば使用感はかなり向上する。
いまでも、コーディングしコンパイルすることもあるが、数十秒もかかることはないので十分である。昔は遅かった。特に汎用機のコンパイルが遅かった。本当の昔の話だが、まだまだ80桁のカードにパンチしていた時代は、コンパイルだけで一晩かかっていた。
SSDでも驚愕した
Diamond Stealth VRAMについて書いたとき、このときほど感動を覚えたことがない。と書いたが、SSDを初めて導入したときも驚いた。
私がはじめて買ったSSDはOCZの30GBだった。まだプチフリのある時代だ。
それを2つ買ってRAID0で使うことでプチフリ解消となる上、性能も向上する。なんと私は、SSDをRAID0でしか使ったことがない。単体で使ったことがないのです。
今はcrucialのC300をRAID0で使っている。不満はないが、だんだん遅くなっている。
最初にSSDを導入したときにWindowsをインストールする。この時点で速度の違いが分かるわけだが、インストール後の起動時の速度が半端じゃなかった。
SSDとHDDのPCを2台並べて起動速度の違いを較べる映像をYouTubeで見かけたが、自分のマシンがそんなに速くなるのを見るのは感激ものだ。
昔々、PC-9801F2のFEPの辞書ディスクをRAMディスクに移動したときのような感動 …… なぜか感動が増えていく …… を思い出した。
感動が多かったことに気付いたので、「パソコンで感動シリーズ」でもやりましょう。
Diamond Stealth VRAM
ほんの少し前の1990年ごろは、まだIBM/PC互換機でモニタの解像度は640x480pxだった。いわゆるVGAしかなかった。これではWindowsは何時までたってもワークステーションと並べない。また、日本語表示ができなかった。
そんな中、日本語表示とハイレゾを実行するドライバーがフリーソフトで出回ったのがこのころである。その後、IBMからDOS/Vが販売される。
ハイレゾ環境が整ってきたころにビデオカードにアクセラレータという機能が搭載された。
雑誌で見る限り嘘の様に速い。
半信半疑でDiamond Stealth VRAMというビデオカードを買った。
嘘の様に速かった。
CPUが変わった。とか、クロックアップで速くなった。なんてもんじゃなかった。この頃より20年経つが、パーツ一つでマシンの性能がこれほど向上したことはない。
私の住むマンションにインターネットとの接続に100MのLANが敷設されたときも感激したが、会社では当たり前の環境だったため、感動はこのときほどではなかった。
この衝撃は言葉では伝えられないが、同じ感動を覚えた方も大勢いると思う。
IBM/PC互換機からスピード狂へ
IBM/PC互換機を購入するきっかけは、仕事でUNIXを使う機会に恵まれたためである。
UNIXを使うと言っても個人でワークステーションを買うには高価だし、自宅にあっても学習用にしかならない。
しかし、学習用にプログラムの開発用にUNIXマシンが欲しかった。そこで、フリーの386BSDを使うことにしたのだが、既存のPC9801(この頃は80386のマシンになっていた)でUNIXを使っているとワープロなどが使えなくなるので不便だった。即ち、もう1台マシンが必要になったのである。
そこで、検討の結果、80386のIBM/PC互換機を購入することにしたのだが、日本で購入するのと輸入するのとでは価格が大きく違った。まだ日本は高かった。
で、輸入することにした。FAXでオーダーをし、クレジットカードで決済した。まだまだインターネットが普及しておらず、現在の様に簡単には変えなかったのである。
その時、80386 33MhzのCPUにファンを付け55Mhzで動作する広告を見たのでそれにした。
要は、本当のオーバークロック狂はここから始まったのである。
それから、PC Magazineという雑誌を講読するようになり、オーバークロックのみならずスピード狂へと進むのである。
オーバークロック
私の言うオーバークロックとは、パソコンのCPUやGPUを正規のクロックより高いクロックで動作させ性能を向上させる手法を言う。
年齢も年齢なのでパソコン歴は長いと思う。
初めて触れたパソコンはNECのPC-8001である。もう30年位前のことだ。その頃はパソコン屋さんから買ったものをそのまま使用するしかなかった。
その後、CPUが80286のPC-9801と言うマシンが発売され、PC-9801F2というFD内臓のマシンを買った。PC-9801というマシンは、BASICでプログラムを作る中で日本語が使えた初めてのマシンである。要は、仕事で使えるパソコンの初期と言うことになる。それまでは日本語が使いたければオフコンと言うものを使うしかなかった。
それから数年後、PC-9801V2というマシンが出た。少し早くなったくらいしか特徴がなかったと思うが、CPUがNECのV30に変わった。80286互換のCPUで少しだけ性能が上がったので、また、ピン互換でもあったので愛機のF2にV30を挿したら動いた。
この辺りからスピード狂の道に目覚めるのである。
真のオーバークロックは、それから4~5年後の80386かつIBM/PC互換機を購入するときに始まる。